高橋達二 2016年度海外研修報告書 (4–6月分)

2016年4月1日の出発日のうちに羽田空港からパリのシャルルドゴール空港に着き、空港から直行して一年借用するアパートに夕方着いた。家族三人(妻と12ヶ月の娘)での移動であり、大きなスーツケースが4つと持ち込み可能の小さなスーツケースが2つと荷物が多いため、 Alliance Transfer Shuttle Paris の空港タクシーを使ったが、エレベーターやエスカレーターすら備えのないことの多いパリ市内の電車や特に地下鉄での移動にはかなりの無理があったため、これは正解であった。

受け入れ先であるパリ第8大学パリ高等研究実習院 (EPHE) の Jean Baratgin 准教授との再会は Rue Ferrus の EPHE において [2016-04-07 Thu] に行われた。当日は、この一年間の研究計画と、今後可能な共同研究テーマについての打ち合わせを行った。また、 Baratgin 准教授の研究グループ (PARIS: Probabilité, Anticipation, Raisonnement, Inférence et Subtrat; 英語名は Probability, Assessment, Reasoning and Inferences Studies) で行われている研究についても説明を受け、高橋に興味があればフランスの大学院生らとの共同研究に入る事について合意した。

[2016-04-15 Fri] には再び EPHE において Baratgin 准教授の率いる PARIS のミーティングに参加し、その同僚研究者 (Frank Jamet) と2014年3月の日本において以来の再会を果たしたほか、パリ第8大学・EPHEの他大学院生の研究の中間発表を聴き、知己も得た。 John Rawls の正義と公平さに関する veil of ignorance に関する個人・文化差を研究する Marion Rouquier は、 9月から日本への1-2ヶ月の滞在を予定しているため、報告者が彼女の滞在先の大阪市立大学の山祐嗣先生との連絡を取り持つこととなった。 Dimitri Lacroix はロボットとの最後通牒ゲームの実験を行うことで、意志決定に対する文脈の影響、特に今後社会的に重要が増すであろう、ロボットとの社会的な相互作用に関する研究を行っている。 Baptiste Jacquet はチャットで人間のふりをできる AI の作成をもって知能の開発をしたものと操作的に定義するチューリングテストにおいて、チャットのなされかたについて何が重要かを実験で突き止めることを目的としている。 Brian Ocak は視線追跡システムも用い、報告者も研究を行っている確率判断タスクによる条件文解釈の実験を行っており、これまでよりも確実な結果を得ている。他には臨床心理学(燃え尽き症候群)を研究する Eric Hennekein-Georgin とロボット NAO を用いた研究を行っている博士課程の Olivier Masson にも会うことが出来た。 2011年にパリで知己を得た博士課程の Jean-Louis Stilgenbauer にも再会を果たすこととなった。

[2016-05-03 Tue] にはパリ市北東 La Villette にある、欧州最大級の科学館と言われる Cité des Sciences et de l’Industrie 内の研究所 LUTIN において研究会 “Journée Rationalité & Raisonnement” での講演を行った。研究会の参加者は、講演者である Patrice Godin (ニューカレドニアで研究生活を送る人類学者)、前記した Jean-Louis Stilgenbauer 、 Baratgin, Jamet 両氏の他、 Hennekein, Rouquier, Jacquet 各氏などがいた。以下に触れる報告者の発表は好評で、 Jamet の指導教員であった Jacques Benjamin Crépault (researchgate) らからの資料請求があった。講演のタイトルは “A simple (bi)conditional form for necessity and sufficienty: The pARIs rule”であり、報告者が 2010 年頃から続けている、人間がいかに統計的なデータから事象の間の因果関係を推論しているかに関するものである。要旨の訳を示す:

「因果推論は認知と生存において一般的かつ重大な役割を果たす。因果関係の確認のためには世界への介入(いわゆる実験)が必要である一方、そういった介入にかかるコストを考慮すると、実験を試みるべき原因の候補を大きく絞る必要がある。ここで絞り込みに用いられるのは、因果関係に関する事前から持っている知識(因果モデル)と、純粋な観察によって得られた共起情報である。我々は後者の、因果推論の観察段階に着目し、双条件的な関係を表現するある単純な条件付き確率が因果強度に関する人間の直感をよく説明することを示す。この「双条件付確率」のパターンは因果推論以外の推論タスクや発達過程でも見られるが、これまでに理論的な説明は試みられていない。ここでは確率論理学的な観点から、その妥当性を与える。」

この研究のポイントは特に、なぜ人間は(ビッグデータではなく)スモールデータ、すなわちごく少数のデータや例から、間違いもすれど驚くほど多くの場合に適切な関係を推論・推測できるのか、ということにある。こういった因果関係に関する推論は、推論システムの開発にとって一義的なテーマである。なぜなら、社会的な関係、コミュニティの構成員とのやりとりに関することを除けば、人間や動物が推論を行うべきは、採餌行動にせよ、メーティングにせよ、自然における因果関係についてだからである。さらに、社会的な関係についても、ある物事についての責任を誰に帰するか、といったことは因果推論の一種(責任帰属)である。この研究は [Takahashi et al., 準備中] として投稿準備を行っている。

研究会当日には、科学技術の普及を目的とする組織である Universcience のIDカードも作成した。これにより、フランスでの研究上の身分登録が完了した。 Universcience は研究会の会場の Cité des Sciences et de l’Industrie (「諸科学と産業の都市」) と、パリ中心部、シャンゼリゼ通りのそばにある Palais de la Découverte (「発見の宮殿」) を運営する主体である。

今四半期は本海外研修の最初期であったため、一年間の滞在のための事務手続きを行う必要があった。入国して直ぐに移民局 (OFII) に配達証明付の封筒で必要書類を送付し、 [2016-05-19 Thu] に OFII に出向き、スムーズに自分の分の滞在許可証を得ることができたが、家族のビザに関してのトラブルと情報(提供)不足があり、何度もパリ中心部のシテ島にあるパリ警視庁 (Prefecture de Police) に出向くことになった。また、特に、所属機関 EPHE のアジア・アフリカ地域を中心に連絡を担当してくださっている Christophe Valia-Kollery 准教授に何度も手間をかけた。その過程では、日本から戸籍謄本とそのフランス語訳を取り寄せる、また追加の書類として合衆国での出生証明書についてフランス政府の認定する翻訳業者によるフランス語訳を求められるなど、大変な手間がかかり、かつ妻の滞在許可証については [2016-06-30 Thu] にようやくパリ警視庁において受領証 (récépissé) の準備が整ったとの連絡を受け、 [2016-07-05 Tue] に現地に出向いて得られたものの、最初の三ヶ月分でなく一年分の新しいビザについては8月末まで待つ必要があると言われるなど、生活に不便をきたしている。フランス滞在に関しては悪名高い役所仕事から、これだけの手間がかかる。そのため、家族を同伴する場合には、たとえ フランス内で有給であってもビザ・滞在許可の取得の不要な3ヶ月以内 にするか、あるいは 1年以上の滞在を考えるのが合理的とも思える。しかし3ヶ月以内であるとしても有給の場合は、研究機関からの受け入れ・招聘状にあたるコンバンション・ダキュイ(Convention d’accueil)の取得の必要があり、それには2–3ヶ月かかるため、早めの準備が必要となり面倒ではある。

6月下旬においてはまた、フランス CNRS の終身研究者である Hugo Mercier 氏との打ち合わせを何度か行った。特に、本海外研修の研究テーマである推論システムの開発のため、彼の「推論の議論理論 argumentative theory of reasoning (ATR)」に関する検討を行った。 ATR は、人間の推論の能力というのもが、進化的にも文化的にも、数学や物理などの抽象的な思考のためというよりはるかに、社会生活において他の人間との討論のためにあると考えるものである。工学的な観点から言ったとしても、「現存する実用レベルの推論システム」が人間にしかないため、こういった議論には大いに参照すべき価値がある。また、基本的には if…then.. の単一の形式を持つ英語の条件文に比して、「と・ば・たら・なら」の四種類のある日本語条件文には興味深い点が多く、これを比較文化・比較言語的と発達的な観点から研究することについても議論した。条件文は、ルールの表現とコミュニケーションには欠かせないものであるが、扱いが難しく、言語学でも心理学でもまだ理論的な問題が残っている。たとえば、条件文は二値論理学ではモデリングできず、三値あるいは確率論理学が必要となる。また、文脈によってその意味が条件付き確率に対応するか、あるいは実質同値(数学の「⇔」)に対応するかなどが変わってくる。しかし、ロボットが人間の間で作動するようになった際には、ロボットは人間の用いる条件文を理解して用いられるようになる必要がある。(他方、たとえば Siri は条件文を理解しない。)この意味で、工学的にも推論・AIシステムとの関係で、条件文の基礎研究は肝要である。

具体的な研究に関して言えば、この四半期においては、本研修で行う研究の基礎となる [Uragami et al., 2016], [高橋 & 甲野, 修正中], の修正を中心に行った。前者については既に出版されている。後者については現在も修正作業を続けている。修正の具体的な作業としては、特に、査読者のコメントに従い、ハーバート・サイモンの提唱した限定合理性の理論と、そこでの代表的な行動規則である満足化 satisficing に関する先行研究のレビューなどを行っている。

その他、今後の予定としては、 7月は Baratgin 准教授と共著で投稿した論文 [Baratgin et al., 修正中], [Hattori et al., 修正中] の修正と [Nakamura et al., 準備中] の執筆を行う。 8月は上旬に合衆国の学会に参加し、下旬は推論、とくに意志決定のシステムを機械学習の国際会議に投稿するための準備を行う。 9月の新学期からロンドンにも定期的に通い始め、ロンドン大学バークベック校での共同研究を開始する予定である。 9月下旬にはギリシャのロードス島で行われる数値計算と応用数学の国際学会 ICNAAM 2016 に出張し、シンポジウムの ABBII2016: The 2nd International Symposium on Artificial, Biological and Bio-Inspired Intelligence において Program committee member としての運営に参加し、また本研修の成果の一部を発表する予定である。 12月はスペインのバルセロナで行われる機械学習と認知・神経モデリングのトップ会議である NIPS に参加する。 3月は一月ロンドンに滞在して Oaksford 教授らとの共同研究を行うことを計画している。

8月上旬に参加する学会は、ロードアイランド州のブラウン大学で行われる ICT2016 (International Conference of Thinking) その後ペンシルヴァニア州フィラデルフィアの Drexel University で行われる NCPW (15th Neural Computation and Psychology Workshop) 、そして同じフィラデルフィアの Philadelphia Convention Center で行われる CogSci 2016 (the 38th Annual Meeting of the Cognitive Science Society) である。いずれの学会においても、論文の投稿時期が2015年度の終盤であり、研究室の学生の卒業・修了のための指導で多忙であったため、投稿は行っておらず、自分の研究発表は行わない。ただし NCPW については聴講の参加にも審査があり、それに通過した。三つの学会では、最先端の研究に関する情報収集と交換、議論に加えて、研究ネットワークの構築や維持を行うこととなる。

ICT は4年に一度行われる思考全般の学会であり、研修受入者の Jean Baratgin, Mike Oaksford ともに中心メンバーとなっており、情報交換に欠かせない。 Oaksford 教授のホストによりロンドン大学のバークベック校で行われた ICT2012 には当時の大学院生(横川純貴)と [Takahashi et al., in preparation] の予備的な結果を発表して好評を得た。 NCPW は今年のタイトルが Contemporary Neural Network Models: Machine Learning, Artificial Intelligence, and Cognition となっており、近年産業界主導で大きなブームとなっている深層学習 (deep learning; deep neural networks) による認知モデリングにフォーカスしている。推論システムについても深層学習の使用が一般的となってきており、実用レベルの推論システムの開発には恐らく欠かせないが、その使用には理論だけでなくノウハウも必要であるほか、認知科学の観点からの深層学習の可能性に関する議論はほとんど進んでおらず、今回のこの学会がほぼ最初であるため、必須である。 CogSci は認知科学のトップ会議であり、最先端の研究が発表されるため、出席は欠かせない。推論に関して言えば、工学に限らない推論に関する研究に最も広く深く触れられるのがこの学会である。

海外研修中ではあるが、国際化と研究推進に関しての校務も行っている。具体的には、来年度からの博士課程の学生の一名の受け入れ作業を行った。現在、その学生候補が入試に合格したため、入学手続きや最終的な打ち合わせを行っている。また、東京大学で専任講師を務めている共同研究者を外国人の研究員として受け入れる手続きを進めている。これらは、来年度以降の研究室運営をより生産的で国際的なものとするための準備として、確実に役立つものといえ、本海外研修の成果を最大限に活かすのにも寄与する。その他、今回の滞在先を中心に、海外からの研究者を本校に 外国人特別研究員外国人招へい研究者 として迎え入れる事を検討していく。

参考文献

  • Uragami, D., Kohno, Y., Takahashi, T.: Robotic action acquisition with cognitive biases in coarse-grained state space. BioSystems, 145, 41–52. (2016)
  • Hattori, I, Hattori, M, Over, D., Takahashi, T., Baratgin, J.: Dual frames for causal induction: The normative and the heuristic. (投稿中)
  • Baratgin, J., Politzer, G., Over, D., Takahashi, T.: The psychology of uncertainty and three-valued truth tables. (投稿中)
  • 高橋達二, 甲野佑: 認知的満足化—限定合理性の強化学習における効用. (投稿中)
  • Takahashi, T., Oyo, K., Tamatsukuri, A., Over D., Baratgin, J.: Correlation detection from small data and the proportion of assumed-to-be rare instances (pARIs). (準備中)
  • Nakamura, H., Shao, J., Yama, H., Baratgin, J., Takahashi, T.: Understanding conditionals in the East. (準備中)